自分語りの部屋

アラフィフ♀です。

ステロイドパルス後 身体症状①

退院後、

仕事を再開しつつ、

ステロイドの錠剤を飲んで脱ステロイドを図りながら、

放射線治療を行った。

放射線は、たしか2週間ほどだっただろうか。

 

そのころから、体がおかしくなってきた。

それは、放射線ではなく、

ステロイドによるものだと、あとで気づいた。

 

まず、体中の筋肉がなくなってしまったような感覚。

実際、ステロイドパルスで筋力が落ちるのだ。

車を運転すると、

ハンドルを切ったつもりが、

切れていない。

車線変更したつもりが、できていない、

などと言うことが頻発した。

普通に歩いていても、

手足がぶらぶらして、あちこちにぶつけた。

だるくて座ってもいられない。

体中の骨が痛い。

 

 

私は仕方なく、杖を買って、

人が見ていないところでは使用した。

人が私を見ると、とても嫌な顔をするから。

はた目には、それほど具合が悪そうには見えないらしい。

 

病院の中では、車いすを使用した。

足は楽だが、車いすを漕ぐ手は痛いので、

ゆっくりゆっくり進んでいた。

 

病院というところは、

病人らしくしていても、だれも咎めないところだから、

気が楽だった。

 

ステロイド骨粗鬆症などにもなりやすいので、

検査を受けたりした。

 

あの状態なら、当然休職すべきだと思うが、

あの時の私には、休職という文字がなかったとしか

いいようがない。

 

なにも仕事が出来ていない状態なのに、

とにかく出勤。

でも私の仕事は半分は肉体労働なので、

とても無理。

座ってできる仕事を選んで行った。

 

 

本当に各種の身体症状が辛かったが、

しかし、本当にまずいのは

精神症状の方だった。

 

 

 

 

入院してステロイドパルス療法

入院して受けた治療は

ステロイドパルス療法」という。

化学療法の一種で、

ステロイド剤を大量に一度に点滴でぶち込み、

それをぱっとやめる。

ぶち込む・やめるを繰り返すので、

鼓動に例えて「パルス」と言うらしい。

 

ステロイドはもともと副作用が強いことで有名だが、

それを大量に使うのでリスクを伴う。

そのため、個室に入院し、状態をモニターしてもらいながら

治療を進める。

 

入院前に、A4のプリントにぎっしり書かれた副作用リストを渡され、

それでもいいですよ、という旨のサインをする。

 

リストの中に、

「精神病」というのがあったが、

私は、まあ鬱とかだったら

経験があるし、すぐわかるから、

ちゃんと対応すれば大丈夫、と思った。

それよりも、大腿骨骨頭壊死とか、糖尿病、

ムーンフェイスなど、

重大なものとか、見た目に現れるものとかがたくさんあり、

それが気になった。

 

かくして入院スタート。

実際、看護師が毎日何度もチェックするのは

血糖値だった。

血糖値は確かに高くなってしまっていたが、

パルス中はある程度仕方がない、という範疇だったと思う。

 

なんだか私は機嫌がよかった。

感染症のリスクがあるという理由で、

医者が私を個室に入れたし、

治療は点滴だけだから、

寝ていればよい。

日々のどたばた仕事からも解放され、

病院の個室から窓を眺めていればよい。

それに うつになんて、全然ならない。

 

2週間の入院の最後の方には

大部屋に移されたが、

「あなたなら、大丈夫かと思って」と、

小さな子どもがいる部屋に入れられた。

子どもは泣いたり不安定になったり

面倒なのだ。

とにかく私は機嫌がよかったから、

何か困っている子どもがいたら、

はいはい、と喜んで助ける、

そんな状態だった。

 

それに、治療は功を奏して、

眼の炎症は見事に収まった。

バセドウ眼症もぐらを退治したぞ。

 

バセドウ眼症の治療の始まり

目の治療の話が続く。

私の場合は、これが精神病の始まりをもたらしたので、

関係ないようだけど、関係ある。

 

さて、前回の続き。

 

医者には仕方がないといわれても、

これでは生活にならない。

 

本やネットで調べると、

ちゃんと治療法があるではないか。

 

そこで今度は眼科を受診した。

眼科医は、通り一遍の目の検査をして、

バセドウ病?ま~、目が腫れるのはしかたないね」

と、内科医と同じことを言った。

 あれ?眼科も相手にしてくれない。

 

しかし、調べれば調べるほど、

バセドウ眼症は、

放置すると大変なことになってしまうらしい。

実際、痛くてたまらない。

仕方がないので、

私は自分で病気について調べた。

やはりこのままではだめだ。

仕方なく、紹介状もないままで

市立病院・大学病院などを受診。

MRIなどを撮った病院もあったが、

積極的な治療には結びつけてもらえなかった。

 

ここでわかった。

田舎なんだ。ここは。

眼科医といえば、眼球の医者ばかりで、

目の周りの組織については無頓着。

医者よりも患者の方が、病気に詳しいんだ。

 

あきらめムードで居たある日、

本屋で立ち読みしたバセドウ病の本の巻末に、

専門医一覧なるものがあった。

いろんな本の巻末に、よく載っている内容。

でも、初めてそこに、私が住んでいる地域に、

一人だけ専門医っぽい医者がいるのを見つけた。

それは小さな文字で控えめに書かれたものだったけれど、

眼科医だけど、眼球の医者ではないぞ。

 

そして、ようやくまともに治療してもらえる

眼科医に診察していただくことができた。

 

この医者は、バセドウ眼症の専門医ではないが、

近接領域であるため、

バセドウ眼症についてもよく知っていた。

また、非常に勉強家であるため、

バセドウ眼症の専門医との強いネットワークを

持っていた。

この医者が、眼科の主治医となった。

 

まずは、私に局所治療を施してくれた。

当時、何やら問題があって、

使用するのに制限のある薬だったが、

医者は穏やかに「ちょっと廊下でお待ちください」といって

私を診察室から出したあと、

何やらどこかと電話で交渉し始めた。

「・・・それなら、〇〇すればいいでしょう、

必要なんです!!」

と、かなりの語調。

 

しばしして、

再度診察室に呼ばれると、

医師は何事もなかったかのように

「じゃ、始めましょう」といって、

私に治療を始めた。

 

なんだかわからないけど、

病気が治らなくてもいいや、

この医者なら信頼しよう。

それだけでいい。

 

そんな気持ちになった。

 

治療と言うのは、

ケナコルトというステロイド剤を

眼の裏に注射するというもの。

 

この局所治療では、いったん症状が軽快した。

ステロイド、すごいぞ。

 

 

しかし、結局また症状が出てきた。

ここに至って、

大人も、子どもも、仕事で付き合いのある業者も、

私の顔を見て、「目が大きい!」

「その顔、どうしたの!?」と

遠慮なく驚きの声をあげていた。

まぶたは大きく見開いて、

眼球は突出し、

目の周りは真っ赤に腫れ、

何の病気なの!?と

見たものみなが訝しく思った。

 

これは入院してステロイドの全身治療しなければなりませんね、

ということになった。

 

 そこで、眼科の主治医が、

バセドウ眼症の専門医を紹介してくれた。

その専門医がいるところは、私の住んでいる地域からはひどく遠かった。

隣県などと言うレベルではなく、

他の地方だった。

でも、行くしかないことは、わかっていた。

私自身も、専門医が近くにはいないことを

痛感していたから。

 

私は夜間高速バスに乗って、

紹介状を持って受診した。

 

そこには確かに、専門医が居て、

そして私のような患者が陥りがちな、

専門医にたどりつけないパターンをよく知っていた。

でも、自宅からはるかかなたにあるその病院で

入院治療を受けるのは大変でしょう、と言って、

私に、うちから近いところにある大学病院で

治療を受けてください、

ただし、治療のスケジュールはきっちり決めて、

指定しておきますから、と言った。

 

なるほど。

うちから近い大学病院の医者は

多少気分が悪いかもしれないが、

そうしてもらうのがいちばんよさそうだった。

 

ちなみに、このころ飲んでいた薬は

睡眠薬ぐらいで、

私は精神科は受診していなかった。

 

この時の私は、バセドウ眼症というもぐらを

叩く作業にかかっていたわけ。

 

 

 

バセドウ病からバセドウ眼症へ

バセドウ病になって、

半年ほど過ぎたころ、

眼に違和感を感じた。

 

まぶしい・痛い・貼れた感じなどなど。

ああ、バセドウ眼症ね、と思った。

眼球突出といえばわかりやすいと思うが、

眼の周りの組織に炎症が起きて、

あれこれ不具合が出てしまうもの。

突出するのは、組織が炎症を起こして腫れ、

腫れた組織が眼窩の中に入りきらず、

外に飛び出すから起こる現象。

 

薬の服薬で、バセドウ病の血液検査の結果は

まあ良好になったのだが、

今度は眼に来た。

しかしもぐらたたきは続いているわけだ。

 

私は痛みは耐えるしかないと考え、

片手で保冷剤を片方のまぶたに当てながら

片手でパソコンを打って仕事をしていた。

両目が痛いから、時々左右の手をかえるわけである。

 

しかし、目の症状がどんどん進み、

痛みは激しくなり、

物が二重に見えたりし始めた。

さすがにまずそうだと思い、

バセドウ病でかかっている内科医に相談したが、

「仕方ないでしょう、バセドウ病だから」

とのこと。

 

本当にそうなのか?

 

 

 

 

 

もぐらたたき~バセドウ病発症

現在の私はもうだいぶよくなって、

寛解」の言葉が見え隠れしているほどの

状態にあるのだが、

病気の進行などについて説明するため、

ちょっと暗めの話が続く。

 

では続き。

 

股関節の痛みがあるものの、

それほど生活に支障があるわけでもなし、

あの世をさまよっているかのような

地獄の日々からは

とりあえず生還したと思っていた。

 

一応、この世で父の死を悼む、といった

状態になったといったらよいだろうか。

 

 

その年の夏、

いつもの職場の検診を受けた。

すると、数値に少し異常があった。

一応かかりつけ医に相談すると、

甲状腺に何かあるかもね。

 冬あたりに、もう一度来てみてください」

と言われた。

 

冬の初め、ちょうど風邪をひいたので、

風邪薬をもらいがてら、

甲状腺云々について、調べてもらった。

すると、甲状腺機能低下、と言われたり、

機能更新、と言われたり、

ふらふらしながらも、

結局は機能更新、

つまり「バセドウ病」との診断が下った。

 

なにそれ?

そんな病気、私に関係あるの?

という感じだった。

 

しかし、あとでわかってきたのだが、

股関節の痛みというのは、

バセドウ病の初期症状だった。

 

また、バセドウ病は、

心身症の一つとも言われ、

精神的なことが影響して

かかりやすい病気だった。

 

なるほど、心理学的には

とてもわかりやすい話だ。

 

私は、病気になる。

病気の薬を飲む。

軽快する。

しかし、別の病気になる。

 

父の死という大きなエネルギーは、

私の中でどうにも納まりがつかず、

おさえれば、また別の形で噴き出す。

まるでもぐらたたきだな、と思った。

 

 さて、どこまでもぐらたたきが続くのだろうか。

 

 

 

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うつ状態は軽快、でも謎の症状

ドグマチールで症状がそれなりに軽快した。

そのまま医師の指示通り、

3か月ほど服薬を続けた。

 

3か月で、ドグマチールを卒業し、

精神科の受診も終了となった。

 

しかし、その3か月の間に、

「股関節の痛み、手の震戦」という

よくわからない症状が出た。

発現したのは、ドグマチールを飲んで

2か月ほど経過した頃だった。

主治医にも伝えていて、

「おかしいなぁ?なんだろう?

ドグマチールを飲んでからだからなぁ・・・」

と言って、

アキネトンを処方した。

アキネトンは、

精神科の薬で出る副作用に

対応するためによく出てくる薬のようだ。

 

アキネトンを飲んでも、

股関節の痛みと手の震えは

収まりはしなかった。

 

でも、ドグマチールを飲む前よりは

それなりに生活がましになっていた。

だからあまり気にしなかった。

 

「盆に心臓を載せている状態」は

続いていて、

フラッシュバックの地雷を踏む自分を

どうにかするのに必死だったけど。

 

毎日、帰宅する車の中では

大泣きしてたけど。

 

夜の車の中というのは、 

一人だし、誰にも見られないし。

 

なんというか、

緊張や対面体裁がなくなる時間帯だったんだろうな。

 

精神科の薬を飲初めて飲む

「これってうつでしょうか」

と訊いた。

私は、ほぼ確定だと思っていた。

すると医師は、

「うつ『病』というほどではないかもしれないけど、

うつ『状態』ですね。

とりあえず、これ飲んでみて。」

 

といって、処方箋を書いた。

 

胃腸科でもらっていた胃薬・睡眠導入剤と、

ドグマチールである。

 

ドグマチールは、

抗うつ剤というよりは

定型抗精神病薬である。

 

当時は、どんな薬かなんて、調べもしなかった。

言われた通り飲んでみた。

 

翌日、私は久しぶりに普通の空気を吸った気がした。

友人が、前日に病院に行ったことを知っていて、

「どうだった?」

と訊いてきた。

私は、

「久しぶりに、この世に戻ってきた」

と答えた。

  

ああ、私は軽症なのだなぁ、と思った。

世の中には、

私よりも、もっともっと辛い人が

ごまんといるのだなぁ。