自分語りの部屋

アラフィフ♀です。

他人に迷惑をかけることは、病むことの本体の一部

私は、激鬱のときには、仕事は全部キャンセルするしかなかった。
同僚と部下に任せた。

みな、自分の計画を台なしにしたことだろう。
本当に申し訳のないことだった。

他人に迷惑をかけること、
それは病むことの本体の一部である。
それは他人にとって迷惑であるだけでなく、
迷惑をかけてしまったと申し訳なく思う
自分の思いからくる苦痛である。

 

それは、実はお互い様であって、
私はそれまで、
だれかが何かの事情で仕事ができないとあれば、
ひと肌脱いでその場をしのぐという役目を
たくさんこなしていたと思う。

 

そんな私にとって、
病むことの本体の一部にさらされることは、
苦痛だった。
そして、今思い返すと、
新鮮な体験だった。

 

まず私は、
新しい自分のイメージを受け入れなければならなかった。
そのことは、この後何度も押し寄せるうつの波が
私に強く強く知らしめた。

 

そのことがしっかり身に染みた今、
私は、元気いっぱいに、
私が休んだら職場が回らない!と思っていた昔の自分が、
とても不遜に思えたりする。
「責任感」というよさげな言葉で装飾されているだけだ。
自分にできることなど、
実は限られているのだ。
自分がいなければ職場が回らないなど、
そんなことは決してない。
私はが世界の中心ではないのと同じだ。
自分の代わりは、実はいくらでもいる。

ただ、私が元気なうちは、
「いくらでもいる」人たちは、
元気いっぱいの私に任せて
頭角を現せずにいるだけなのだ。

 

自分が職場に、世の中の一部にでも、
なにか影響を及ぼしているなどと考えている、
その思いが、
不遜な思いの底辺にある。
そんな力は、そもそもない。