自分語りの部屋

アラフィフ♀です。

ステロイドパルス後 精神症状①

前回のブログから間が開いてしまった。

躁状態の自分の状態を整理するというのは、
思っていた以上に時間がかかった気がする。
躁状態とは、本当に手が付けられない。

 

前回のブログは身体症状について述べたものだった。
でも、少し精神症状についても触れている。

例えば、「寝てなどいられないのだ」
「目を閉じているのが一番楽だったが、そうはさせない自分がいた」
「痛みを自覚しないというのはおかしいが、
痛みを自覚するセンサーというか、
考える脳というかが狂っているという感じだった。」
といったものである。

前回と前々回のブログにあるように、
苛烈な身体症状に襲われていたのに、
私は寝てなどいなかった。
フラフラであちこちぶつけて小さな怪我をしながら、
私はどうしても仕事に出かけ、
動悸と下痢とめまい、その他さまざまな症状にに苦しみながら
仕事にならないのに必死でできる仕事を探していた。

 

車で言ったら、GOな私がローギアでものすごい爆音立てて、
ブレーキ踏みながら走っているようなものだった。
どんなに辛くても出勤するという選択肢しか、私にはなかった。

 

また、私は自分の身の回りに起きる
様々な事象に敏感に反応していた。
よくも悪くも感受性が高まり、
そこから生み出される感情・言葉を発散せずにはいられなかった。
優れた芸術作品は、
あの状態の私には危険なものだった。
しかしそんな知識は、当時の私にはない。
私は文学や歌などに狂わんばかりに反応してしまった。

例えば、たまたま片付けようと手に取った古新聞に載っていた俳句と、
その解説。
解説があまりにも陳腐で的外れでつまらないものであるかを
瞬時に察知した私は、
自分の解釈を文字にして書きつけた。

他の例。
たまたまテレビで聞いた歌が気になり、
英語の歌詞の意味を調べてみると、
それは非常に隠喩の効いた、
意味深なものだった。
そこからいろいろな思いが吹き出し
収めるのが大変だった。

私は文字にしてその思いを吐き出さずにはいられなかった。
今になってそれを読み返してみると、
作家や芸術家というのは、
このような状態を恒久的に持っているのかもしれない、
などと思ったりする。

 

私は、人が放つちょっとした言葉に
突っ込みを入れずにはいられなかった。
そして頭が切れまくり、
事象の裏の裏、そのまた裏まで考えてしまう。

あのとき、舛添元厚生労働大臣島田紳助がテレビをにぎわしていたが、
当時私は自分を、この二人を足して2で割って、
すっごくマヌケにした状態だ、と評した。

 

自分にも、他人にも、突っ込みまくるような。
こころが?キレまくるような。
用心しないと人を傷つけてしまう。
いや、だいぶやっちゃってた。

 

小さなことばが気になり、
いつもだったら適当に流して終わるようなことにいちいち反応してしまう。
例えば誰かが軽い気持ちで私に何かを言うと、
「この場面でそういう発言をするっていうのは、
どういう心境とか、
どういう意図とかがあって、言うんでしょ、そうでしょう!!」
といったような。

 

一番の被害者は、やはり家族であろう。
家族に足を向けて寝られない気が今もしているのは、
あの当時、あきれながらも
私に耐え抜いてくれたからである。


この状態を、今だったら「躁状態」と言う言葉で
理解することができるが、
当時の私にはそのような知識はなかった。
また、だれも教えてくれなかったんじゃないかと思う。

しかし、絶対に精神が正常ではないという自覚はあったので、
自ら精神科を受診している。
父が死んだあと、うつ状態になったときに訪れた病院だった。