双極性障害寛解できるよ

双極性障害ですが、寛解の可能性が見えました。これまでの経緯を語ります。アラフィフ♀です。

見抜かれるよ

このエントリーは

補足的なものである。

 

というか、実は

寛解したかも」というタイトルのブログを始めたのだが、

今、軽くうつに入っていることを自覚したところだ。

 

私のうつは、ひっそりと、

私が思ってもみないところから入り込み、

いつのまにかデカくなっている、というパターンが多い。

自覚なく始まり、自覚するころには割と深みにはまっている。

いやだなぁ・・・

 

うつなので、うつっぽいエントリーに

なってしまう。

 

 

以前、ある人が
「コロッケさんのお父さんの自殺は、
(2011年の)津波のようだったね」
と評した人がいた。
なんとか私の気持ちに沿おうと努力した発言だったのだと思う。

 

その努力を感じたので、
私は儀礼的に「そうですね」と返答したが、
本当は、津波と父の自殺は、
種類が違うという気がする。

 

津波は、日本中を巻き込んだ社会現象をもたらすほどの
大きなエネルギーを持っていた。

 

父の死は、私にとっては巨大な出来事だったが、
社会全体からすれば砂粒ほどの出来事だ。

 

津波は、多くの被災者がともに助け合い、
社会も様々な形で被害からの回復を願い、
「共にがんばろう」と連帯している。

 

父の死は、あまり公にすることははばかられる出来事であり、
家族と連帯することは、
いろいろな事情で、出来なかった。
距離的に離れて生活しているということもある。
母を心配して毎日電話をかけていたのだが、
それは私にとって大きな負担となっていた。
毎日、母は胸の中の怒り・悲しみを
泥団子のように丸めて私にぶつけたのだ。
母は、そのようにして、
いろいろな人に泥団子をぶつけまくった結果、
今、老人ではあるが、健康に暮らしている。
それが「生きる力」なのかもしれない。

私は母の逞しさに、

あきれたりうらやましく思ったりしている。

私はただ、母をスポンジになって受け止めた。
それ以外に、娘である私に、
何ができただろうか。
私もどこかに泥団子をぶつけてもよかったのだろうけれど、
その行為がもたらす影響を、身を持って知っていたので、
私はできなかった。

そういうわけで、私は結果的に一人で耐え抜いてしまった。
津波の被害とはそこが決定的に違うと私は思っている。

 

人の悲しみとは、

それぞれに違う。

解ろうとして、わかったよ、などといったふりをすると、

相手に見抜かれてしまう。

それを、反面教師として学んだ出来事だった。

 

傷ついた人に寄り添うとは、

なかなかに難しいものである。

私はこの出来事で、

自分が「傷ついた人」になるという経験をしたのだが、

今まで私が発した言葉、行動に

いろいろな間違いがあったはずだ、と思った。

かといって、

傷ついた人に無関心でいることは、

愛の反対である。

 

自分も傷つくことを覚悟の上、

傷ついた人に近づく。

それが愛のある行動なのだろうと、思ったりもする。

 

 

 

さて、それでもまだ私の双極性障害は発症していない。

 

 

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