自分語りの部屋

アラフィフ♀です。

精神科の薬を飲初めて飲む

「これってうつでしょうか」

と訊いた。

私は、ほぼ確定だと思っていた。

すると医師は、

「うつ『病』というほどではないかもしれないけど、

うつ『状態』ですね。

とりあえず、これ飲んでみて。」

 

といって、処方箋を書いた。

 

胃腸科でもらっていた胃薬・睡眠導入剤と、

ドグマチールである。

 

ドグマチールは、

抗うつ剤というよりは

定型抗精神病薬である。

 

当時は、どんな薬かなんて、調べもしなかった。

言われた通り飲んでみた。

 

翌日、私は久しぶりに普通の空気を吸った気がした。

友人が、前日に病院に行ったことを知っていて、

「どうだった?」

と訊いてきた。

私は、

「久しぶりに、この世に戻ってきた」

と答えた。

  

ああ、私は軽症なのだなぁ、と思った。

世の中には、

私よりも、もっともっと辛い人が

ごまんといるのだなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

精神科を受診

心に以前から関心を持っていたこともあって、

信頼のおける精神科医のことを私は知っていた。

 

とにかく、眠れない。

心に空いた穴が大きい。

すうすう風が通って、痛い。

 

まず予約を入れて、

精神科に行く。

すると、看護師のかっこうをした人

(心理職かもしれない)に、

家族歴や受診の理由ほか、

いろんなことを聞かれる。

アンケート用紙にもあれこれ書かされる。

 

そして医師に診てもらう。

 

医師に父が死んだことを伝えると、

「死んでしまったの!?」と

少し驚いていた。

精神科医として、

「父が死にそうだ」という話なら、

そのお父さんをなんとかしよう、ということだったのかな。

医者たるもの、

死んだ人より、

生きてる人をなんとかしようという心意気があるのかな。

死んだ父のことをずっと考えている

私との差異を感じた。

 

私は黙ってうなづくしかなかった。

人様の前ではあまり泣いたりしなかったのだが、

この時ばかりは涙があふれた。

医師はだまって私にティッシュボックスを渡した。

 

悲しい人、涙を流している人に、

黙ってティッシュを渡す。

これは、私が今採用している

簡単な慰め方法である。

 

 

 

 

 

 

精神を病み始める~心身症から精神へ

父の自死をきっかけに、

私の精神は病み始めた。

 

とはいえ、「精神」とはどこにあるのだろう?

おそらく、脳に、ある。

でも、脳とは、臓器のうちの一つにすぎない。

同時に、脳は体全体をつかさどっている。

 

おそらく、上記の理由で、

精神がおかしくなるのと同時に、

身体的にも異常が起きるのは

ごく自然なことだろうと思う。

そういう病気を特化して、

心身症」とかいうらしい。

 

 

とりあえず夢中で葬儀を済ませ、

その後、様々なお金の問題で

家族総出であれこれ奔走した。

 

そんな中、

主観的な言い方だが、

心に巨大な穴が開いた。

それはここに書いたとおりだ。

 

父が死んだのは春先だったが、

その1カ月以内に、

まず、胃痛が発生。

吐き気も出現した。

これでは仕事にならず、

私は胃腸科で薬をもらった。

体重は一気に10キロ減った。

いわゆる心身症の発現。

 

このころ、

私は自分が精神的な病気になっているとは

思っていなかった。

なにより、

父を喪った喪失感が巨大だったため、

悲しかったり食べられなかったりするのは

自然な反応だろう、ぐらいに思っていたのだろう。

私は自分の健康をあれこれ考える余裕などなかった。

 

胃痛や吐き気は薬で収まったが、

今度は不眠が始まった。

続けて同じ胃腸科に行き、

胃薬と一緒に睡眠導入剤をもらって飲んだ。

 

父の死から2か月経った5月、

私はさすがに心が病んでいるということに

気づき始めた。

精神の異常というものに

関心がようやく向いた。

というのも、私は仕事柄、

あるいは自分の興味の方向もあって、

心理学をかなり学んでいた。

そして、ヤバい状況の時、

カウンセリングなどせず、

精神科に直行したほうがいいことを知っていた。

 

 

 

 

 

 

 

私の場合を詳しく~①私は自死遺族

私が心身に大きな異常をきたしたのは、

2008年3月。

父が自殺した時からだった。

それは大きなショックをもたらした。 

 

病発症のきっかけが、

大きなショックを受ける出来事だったという人は

多いのではないだろうか。

 

といっても、私は、当時は自分の心身が異常だということを

考える余裕はなかった。

異常だとしても、父の自殺という重大な出来事があったのだから、

異常な反応をするのは正常でしょうといったところである。

 

 

考えていたのは次のようなこと。

 

死んだ父はどこに行ったのだろう。

とか、

私は父をみすみす死なせてしまった、間抜けな娘だ。

とか、

父と一緒に居たはずは母は何やってたんだ!?

とか、

家族に何も言わずに死ぬなんて、お父さんのばかやろー!

とか、

あるいは、

母や、特にいちばん苦しんで死んだはずの父を

責めている自分に気づき、

私はなんてひどい奴なんだ、となり、

今度は自分を責める、という循環になる。

 

何かの拍子に、頭の中が父の死でいっぱいになってしまう。

それをフラッシュバックというのかな。

フラッシュバックを起こすボタンは、

世の中にはたくさん転がっている。

地雷のようなもので、不意に踏みつけたり、

他の人が不意に私に触れたりするものだから、

私はパニック状態になる。

でもそれに誰も気づかない。

一人で耐える。

 

父は確かに存在していたのに、

今はもうどこにもいない。

写真はあるが、それが動かないのに違和感がある。

 

父はどこに行ってしまったのだろう。

あの山の向こうに父がいるのなら、

なんとしてもあの山に登るのに。

あの雲の向こうに父がいるなら、

どうやってでも雲の上に行くのに。

 

どこに行っても、父に会うことは絶対に無理。

どういうわけか、夢にすら出てこなかった。

 

お父さんのおばけがいるのなら、

いつでも出てこい!

・・・9年経つけど、一度も出てこない。 

 

 

なぜ死んだのか、

なぜ助けられなかったのか、

その理由を知りたい。

なぜなの、なぜなの。

その疑問を、

父なり神なりにぶつけるには、

私が父と同様に死んでみるしか

他に方法はなかった。

そういう意味で、死にたかった。

 

私はお寺の墓地を好んだ。

冷たくて四角くて、何の希望もない、

カサカサに乾いた骨。

それが私に合っていた。

 

歌は私を傷つけた。

歌詞が希望だの喜びだのを歌っていると、

私はそれに「そうだね」と同意することができなかった。

そして怒りが湧き、悲しみが湧き、

そしてパニックになるのだった。

 

私は父の死の事後処理を行うために

数か月にわたって長時間車に乗らなければならなかった。

黙って運転していると、気が狂いそうになった。

それで仕方なく、私はフリードリヒ・グルダのピアノを

エンドレスで聞いた。

ピアノソロだから歌詞はない。

また、グルダが息子のために書いたという曲が

私は以前からお気に入りだったから、

そのCDを聞くのがせめてものなぐさめだった。

でも、聞きながらずっと泣いていたことには

変わりはない。

 

だれかが、

気の毒そうな私に何か声をかける。

私は心の中の思いを吐き出したい気持ちもある。

しかし、一度吐き出してしまったら、

それはパンドラの箱のように、

もう元には戻らず、

自分も相手もめちゃくちゃになってしまいそうだった。

 

だから、ほとんどこの経験を人に直接話したことはない。

 

 

私は仕事を続けていたが、

うまくいくはずはなかった。

でも、詳しい記憶はない。

私の精神状態は悲惨だった。

私は胸から血だらけの心臓を取り出して、

矢の雨が降る中を、心臓を盆に載せて

右往左往していた。

 

胸に巨大な穴が空いていた。

穴の中を風が通る。

そのたびに痛みが走る。

 

心臓に矢が刺さる。

誰かが不意に心臓に触れる。

そのたびに、私は心の中で悲鳴を上げた。

でも、その悲鳴にはだれも気付かなかった。

一人で耐えるしか、なかったのだ。

 

自殺されることは、

当たり前だった日常の幸せを

暴力的に奪われることだ。

慕わしい人が、ある日暴力的に

奪われる日だ。

慕わしい日が、自分の意志で

暴力的に自分から去る日だ。

 

どう表現していいか、わからない、

むごい日なのだ。

 

死なれたら、問答無用なのだ。

泣こうがわめこうが、

なぜ、なぜ、と問い続ける人生を

送ることになるのだ。

 

かなり書きすぎてしまった感があるが、

私の個別の発症を語るためのは

ある程度は仕方ないので、

読者はの皆さんは、

どうか堪えて欲しい。

 

でも、まだまだ双極性障害には至っていない(と思う)。

続きはこのあとで。

 

 

でも、今生きている人たちに、これは言っておきたい。

このブログの目的からはちょっと外れるけど、

言っておきたい。

 

いかなる理由があろうとも、

自殺はいけない。

残された人たちに、どれほどの痛みをもたらすか。

それは想像を超えているはずだ。

自殺者は、自殺するときには家族の気持ちなど

考慮する余裕はないのだろう。

だから、死んでしまった人を責めるつもりはない。

 

普段から無口で、

ましてや手紙など書く人ではなかった父なのに、

死ぬ直前に母に遺書を遺した。

私は遺書の存在を聞かされた時、

信じられないと思った。

でも、それは私の前に差し出された。

仕事で使う紙を手のひらに乗せて、

シャーペンのようなもので書いてあった。

手のひらの上だから、芯で穴を開けながら書いていた。

「〇〇(母の名前)。ゆるしてくれ。おれはもうだめだ。

 そうしきは、しょくばはだめ」

時刻(夜中だった)

 

死の直前、父が家族を思う時間はあったのだろう。

だから、相当の筆不精だった父が、

最後の力を込めてこんな遺書を書いたのだろう。

極限状態で、手じかにあったもので

必死で書きつけたのだろうか。

 

死は決行したけど、

「ゆるしてくれ」と言ったんだなぁ。