双極性障害 目指すは完治ではなく寛解

双極性障害ですが、寛解の可能性が見えました。これまでの経緯を語ります。アラフィフ♀です。

うつのドツボでどう考えるか

うつが長く続き、

もうこのまま一生上がらないんだ、

と思えた、

そんな時のことを思い出しながら、

考えたこと。

 

 

双極性障害と言うのは、

ある程度、遺伝子が関係しているという。

 

ということは、

この病気の人は、

ばばぬきで、遺伝子というばばを

たまたま抜いちゃった、ってことかも。

 

抜いて、たまたまババを抜いちゃったから、

本当はだれも持っていたくないばばを

所持している。

 

それは、結構大変な仕事だ。

 

なんのため?

 

1..世のため人のため
人類の何%かはことになってる病気を、
私たちが引き受けている。

人類が、負うべき何かを
私が引き受けている。

 

結構、高尚なことやん。

 

2.自分のため
この鬱をうまいこと過ごすことで、
次の躁は軽くなるはず。
そうすれは、
その次の鬱は、
また、軽くなるはず。

そうすることで、
自分は病気にただ翻弄されるのではなく、
ある程度コントロールすることができる。

 

鬱のドツボでは、なかなか前向きに
とらえられないけど、
頭での理解だけでも、
そのようにしています。

 

というか、
鬱のドツボでは、
前向きな言葉を、国語力で無理矢理作ってみても、
苦々しく感じられるだけだけど、
それでも、理解はしておく。

そんなんで、どうでしょうかね。

 

 

 

 

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気分屋的生き方をすると気分が安定する

「目指すは完治ではなく寛解」というブログだが、

実は、薬を飲まなくてもよい、

という段階に至る人も、

世の中にはいるらしい。

それは、完治といってもいいかも?

 

そのためにどうすべきか、

ということに興味があれば、

神田橋條治先生の著作に関心を持つとよい。

とはいえ、神田橋先生はかなりご高齢で、

著作というより、

語録などの方がすぐ読めたりする。

 

たとえば、

神田橋語録

など。

 

神田橋先生の講演

もまとまっていて助かる。

 

 

また、神田橋先生は、

この病気の常識である

「ずっと服薬すべき」ということも

ぶっとばして、

こんなこともおっしゃっている。

双極性障害は完治するか

から抜粋。

 

「じゃあ躁うつの波は天性のもので、

 ずうっとあるんだから、

 薬をずっと飲まなきゃいかんとなると、

 薬漬けだ。

 煙草をやめられないのと同じで、

 薬をやめられないようになるか。

 そんなことはないんです。

 そうでない人もたくさんいるの。」

 

だって。

 

双極性障害の私たちにとって、

これは絶対に耳より情報だよね?

 

 

そのためのこつは、

「気分屋的生き方をすると気分が安定する」

この神田橋先生の言葉に

集約されるだろう。

 

言われてみれば、

私は自分を縛っていた

さまざまなものを、

意識的に取り払っている。

そして、自由になった。

やりたいことをする。

がっつり取り組むというより、

気分でやったりやらなかったり。

それが今、心地よい。

 

これでいいんだな。

 

 

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補足~トラウマからの回復について

双極性障害の人は、
発症したとき、
何らかのライフイベントがあったことが
多いと思う。
平たく言えば、ストレス。


脳の病気なので、
それが直接の原因というより、
ストレスが脳の脆弱性を刺激した、
と解釈した方がよいみたい。

とはいえ、
多くの人は、
発症のきっかけとして、
辛い出来事を経験していると思うし、
自分もそうなので、
私が経験した大きなストレスと、
そこからどのように回復してきたかを
書いておこうと思う。

 

父が自殺したとき、
私はもう立ち直れないと思った。
というより、
父をみすみす死なせてしまった
親不孝の極みである私のようなものは、
立ち直るなど、あってはならない。
あるいは、
私が立ち直ったりしたら、
一人で黙って絶望の中死んでいった父が
かわいそうすぎる、
だから、私は立ち直ったりしない。

そのように思っていた。

 

父の死から9年半ほど経った今、
私が言えるのは、
私は確かに「立ち直って」はいない。
また、父が死ぬ前の自分に戻ったりもしていない。

 

父の死という厳然たる事実がある以上、
私が父の死を知らなかったころの
単純極まりない幸せな時代に戻ることは
もはやありえない。

 

父が死んでから5年ぐらいは、
父の死という事実は、
私の体の前にそそり立つ
剣のようなものだった。
私が少しでも風に吹かれて
揺れようものなら、
剣は私の体を容赦なく傷つけた。

 

それをフラッシュバックとかいうなら、
そう呼んでいいと思う。

しかし、6年目ぐらいから、
少しずつ変化が生じ始めた。 

 

ある人が、
辛い経験は、乗り越えるのではなく、
「取り込む」のだ、と言っていたが、
まさにそのような変化が起きているように思う。

 

私と言う人間は、
病苦や、病気を持ちながらの仕事や、
その他様々な問題を経験し、
それを取り込みながら、
その分大きく成長したとしたら、
私は眼の前にそそり立っていた剣を
自分の中に取り込みつつあるのかもしれない。

 

剣は剣として存在しつつも、
それを自分の中に入れてしまえば、
あまり自分を傷つけないような、
そんなイメージ。

 

あるいは、先日テレビで聴いたことも、
大いに当てはまると思ったので、
ここに記しておく。


大西秀樹という医師が、
自死ではないが、
親しい人との死別について、
このように述べていた。
「死別の悲しみはゼロにはならないし、
 大きさは変わらないけれど、
 心が広くなると、
 相対的に悲しみを小さくすることができる。
 一般的に、悲しみを乗り越えるとは、
 そういう意味である」

 

これは、上記で私が述べたことと
通じると思う。

 

また、私の病気は双極性障害であるから、
私がどんなに成長しようが、
基本的には治らない。

しかし、治らなくても、
双極性障害という病気を含めて、
自分なんだと認識する。
障害を、体質のようなもの、
生まれ持った性格を形作るものでもある、
と受け止める。

そして、受け止めた上で、
自分の人生を歩む。

その時、
私は立ち直ったのではなく、
成長した、と言えるのではないかと
考えている。

 

ここに至るためには、
しっかり自己受容することが
先決なんだろう。 

 

 

ショックな出来事で発症。
あるいは、躁鬱の症状の経過の中で、
理解されなかったり、
激しい苦しみに翻弄されたり。
さまざまなことがあると思う。

 

でもそれは、
決して回復しないわけではない。
病気のコントロールと共に、
自分というものを理解・受容し、
世間の常識や
相手の事情も加味して考えられるようになる。

考え方もより広くなり、
全体として、
生きやすくなると思う。

 

このブログ、

ここで一段落です。


双極性障害で、

一時は死ぬかと思った私が

今は一応普通に働いている。

ここまでのみちのりを、

なるべく詳しく書いたつもり。

 

もう回復なんてできないんだ!と

思っている方には、

ぜひ読んでもらいたいと思って、

書いてきた。

 

だれかのお役にたてば、

嬉しいと思います。

 

 でも、役に立ちたいから

ブログを書いたか、

と問われれば、

それだけじゃない。


書きたかったから、

書いた。


たぶん、そんな感じです。

 

 

 

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双極性障害~病気と気質、世の中に役に立つ性質も

双極性障害病前性格として、
循環気質・発揚気質・マニー親和型性格、
あるいは執着気質などと
よく言われる。

 

それぞれの気質については、
いろいろなところで解説がなされているので
それを見ていただきたい。

 

こうした気質は、
実は役に立つよい性質でもあるということを
述べておきたい。

 

例えば「循環気質」は、
「社交的で明るい、
ユーモアがある。
明るく談笑し、
気配りも上手で、
つねに周囲の人の潤滑油的な役割を果たす」
と言われる。

なんとまあ、りっぱな気質ではないか。

 

また、
私は職業的にも人の気持ちを考えたり
受け止めたり、
なぐさめたりすることを求められるのだが、
それは確かに、苦手ではない。

自分に当てはめてみると、
確かに上記で言っている性格が
あてはまるかもしれない。

でも、これって占いのようなもので、
「あなたはA型だ」と言われると、
自分がそんな性格をしているような気がしている、
ただそれだけかもしれない。

また、いろいろなことに気づき、
危機の手前で対処することが
できるように思う。

躁状態になると、
周辺の小さなことにも気づきすぎて、
大切なことが全く進まない、

などということになるのだけど。

 

また、芸術家やタレントと呼ばれる人たちの中には
双極性障害の人が
少なくないと言われる。

本当にそう思う。
彼らの言動・行動を見ていると、
まるで私のようだと思うのだ。

私はこの病気になってから、
自分の中の
ちょっとした創造性に気付いた。

前からあったのかもしれないし、
病気になってから出てきた性質かもしれないし、
よくわからない。


このように考えると、
私の中の、
病気と結びつきながら存在すると思われる
創造性・共感性・器用さ・気づきなどは、
フラットであれば、
とても役に立つ性質だ。

従って、双極性障害の人は、
その症状が世の中の役に立つことも多い。
だから淘汰されずに
生き残っているのだ、などと
言われたりしているのだが、
私は自分がまさにそのケースに当てはまっていると思う。

あるいは、発症はしないが、
その素質を持っていて、
病前性格を持って、
世の中に寄与しているケースも多いだろう。


もちろん私の場合は、
しっかり発症しているので、
躁・鬱の波にあるときには
全然世の中の役には立たない。

 

循環気質が行き過ぎて
発揚気質となると、
やりすぎて迷惑をかけたり
ついていけないと言われてしまうだろう。

 


ただし、上記で述べた病前性格
実際の臨床ではそれほどあてはまらない、という話も聞く。
私は医者ではないからよくわからないが、
キスカル以降、
双極性障害の概念がだいぶ
拡大されているような印象を受けるので、
上記の病前性格は、
双極性障害診断基準が拡大される前の
コアな人たちが発症前から持っている
性格、ととらえることができるのかもしれない。

とすると、私はコアな双極性障害者、ということになるか。
まあ、苦笑いするしかないか。


ネット上に姿を表してくださる双極性障害の方々は、
なぜか病状が安定していない方が多いような気がする。

仕事・病状・経済状態などで
大きな困難を抱えている様子が
そのつぶやきから見えてくる。

でも、私のように、
しっかり管理することで、
普通の生活ができている
双極性障害の人たちも
たくさんいるのではないだろうか。

双極性障害のもっている素質がよい方向に回れば、
しっかり働くことも可能だと思う。

 

安定していると、
ネットの世界はあまり
必要でなくなるということなのだろうか?

 

私は一応普通の生活をしているレベルで
安定しているが、
ネットの世界は大好きだ。


だから、このような形で、
自分の経験をネット上に晒すことにしたのだ。

 

この病気は結構手ごわいが、
寛解することができる。
治癒ではないけど、
寛解ならOK、そう思いませんか?

 

 

 

 

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薬の副作用と偏見の問題

私は、双極性障害 かつ バセドウ病
である。

バセドウ病も、完治への道のりはかなり長い。
双極性障害は、完治はないと思っていた方がいい。

なので、
薬は欠かせない。


でも、薬を飲みたくない、という人も
いるようだ。

 

薬は私に、普通の生活をもたらしてくれてはいるものの、
副作用は毎日ある。
副作用と薬理とを天秤にかけて、
薬理の方が勝っているから、
薬を飲む、という発想が正しいのかもしれない。

 

副作用でよくあるのは、
口渇
多飲多尿
肥満
手の震戦

と言ったところだろうか。

 

私は飲んでいないが、
ラミクタールを服用している場合は
薬疹に注意しなければならないだろう。

 

また、飲み合わせの関係で、
ロキソニンなどの痛み止めが飲めないといった
不便が生じる場合もある。

 

長期的には、肝機能なんかにも
なんらかの影響があるのかもしれないが、
それを言っていたら、
薬は飲めないので、仕方ない。
ちなみに、酒はもともと飲めないので、
肝臓は酒からは守られている。


副作用は、
私にとっては不愉快なものだけど、
でも、それと引き換えに、
わりと普通っぽい生活ができているので、
仕方がない、と割り切っている。
薬のある21世紀でよかったね、と
思うことにしている。

 

まあ、21世紀だからこそ、
父が自殺するようなことに
なってしまったのかもしれないが・・・

たらればの話はやめておこう。
それがこの病気と付き合うこつかも。

 

あとは、副作用とはいえないけど、
薬を飲んでいる=精神障碍者
といったような、偏見。

他者がもつ偏見、
そして実は、
自分が自分の病気に持っている偏見、である。

 

他の人のことは、
はっきり言って、放っておけばよい。

 

自分が持っている偏見は、
変えることができる。
それは、自己受容や自己肯定感、病気の理解、
回復できるという希望、
生き生きと生活している同病者の話など、
いろいろな情報を取り入れながら
克服できると思う。

 

ここで改めて言っておく。
私は双極性障害です。
父を死なせたバカ娘です。
でも、私のすべてがバカなわけではありません。
それに、普通っぽく生きています。

 

 

 

 

 

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気分の波乗りに役立つ自己管理の方法

時々このブログで
「自分をモニターする」
という言葉を使っている。

しかし、漫然と自分を見ていても
あまり客観的にはならないかもしれない。

 

医師が勧めてくれる
活動表もあり、
それはとても良いのだと思う。

しかし、自分にはちょっと続かない気がする。 

 

できたら、もう少しアバウトなものがよい。

そこで、私はエクセルに
病院を受診した日時や
その時の出来事、
症状、
処方されたくすりなどを
一覧にして見られるようにしている。

 

f:id:korokkechan:20171027214339j:plain

上記はうつ病?時代から
本格的な躁鬱に突入する境目の記録。
なのではじめの方はしっかり抗うつ剤
処方されている。
途中でロケット燃料になるが無効、
この後気分安定薬となっていく。

まだ寛解は見えていなかったので、
非常に辛い思いをしていた頃のものだ。


うつの時は無理して書くことはないと思っている。
でも、あとからお薬手帳を見て、
エクセルに受診した日時・処方された薬・量を記す。
メンタルが関係していそうな出来事を一緒に書いておく。
例えば「職場の男性職員と大喧嘩した」などという武勇伝は
もちろん躁の時に記されている。
うつの時のダメダメ感も記しておく。

 

それと、躁鬱の波だけでなく、
ストレスフルな出来事なども関係しているような気がする。
脳の病気とはいえ、
脳は外的な出来事に左右されるんでしょう。

 

このように記録を取っておくことで、
どういう時期やタイミング、出来事が
気分の変動に影響しているかを
一目で知ることができる。

また、その変動があったとき、
どんな処方がされていたかを知ると、
小さな変動を感じたが、
病院に行く必要があるかどうか迷うような場合、
少し自分で薬の按配を
変えてみる、ということも可能になる。

でもそれは、
だいぶ自分の処方に
精通してからだ。

 

精通するためには、
やはりしっかり記録をすること。

 

そしてそれが、

躁鬱の波を乗りこなすのに

大きく役に立つ。

 

読者のみなさんには、

ぜひ実施してもらいたいと思う。

 

 
他にもきちんと記録を取るための
ノートのようなものが市販されているようなので、
それぞれに自分に合ったものを見つけて
活用するのがよいと思う。

 

また、私は今もしているように、
文字化して、自己表現を兼ねた記録をしている。


あとで見れば、
自分がどんな時に何を考えていたかがわかる。

実は、ブログは4本、
ツイッターは2アカウント、
フェイスブック
ワードに書きつけている日記、
スマホに書いているメモ、
そして書かないが自分の心の中にあるもの、と、
様々な段階の自己表現がある。

すべてがいつも稼働しているわけではないが、
自分の気まぐれで、
どうにでもしてよいわけだから、
気楽に利用させてもらっている。

そして、かなりおしゃべりなので、
人様にペラペラと話していることも、
言葉であって、自己表現の一部である。
とはいえ、
あくまでも私の場合だが、
口で話していることは、
真実からは少し遠い。
本当のことは、文字でこそ、表現できるようだ。

 

人によって、
自己表現の方法は違うだろうから、
ふさわしいものを使ったらいいと思う。

 

 

 

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躁鬱の波をどう乗りこなすか

このようなわけで、
私は躁・鬱のパターンを知るに至った。
また、その経過の中で、
自分に有効な薬も見つけることができた。

 

あとは、
自分をよくよくモニターして
異変があったときには
病院に行く、ということになる。

 

そのようにして、数年経過したが、
年ごとに、躁鬱の波が小さくなってきているように思う。
だからなのか、
休職せざるを得なかったのは
一応1回だけ。

 

やはり、そのためには、
「躁鬱の波を乗りこなす」技が必要だ。


では、その技とは?

まずは症状をしっかり主治医に伝える言葉を持つこと。
主治医にふさわしい薬を処方してもらうこと。
忘れずに服薬すること。

これがとても重要だと感じている。

 

また、医師によく言われるのは、
どんなことでも打ち込まないこと、
がんばらないこと、
やりすぎないこと。

自分で抱え込まず、
人に頼んだり指示したりすること。

これが実は、
結構難しい。

でも、「それは技術だ」と
主治医に言われた。

実は、主治医は、
自分もうつ病になっちゃった人で、
そのために自分のクリニックを閉院して
勤務医になった人。

だから、上記の言葉は
主治医の生き方を見ていると
わかってくる。

人に頼むのは、実はその時には面倒だ。
自分でやっちゃったほうが、
一時的にははるかに速い。
ストレスもない。

だけど、それではいつまで経っても
仕事の山から逃れることはできず、
部下は成長せず、
自分だけがアップアップする羽目になってしまう。


また、「どんなことにも打ち込まない」
とあるが、
私は躁鬱の気質があるせいか、
やはりいろいろなことに興味が向き、
器用にできてしまうような面がある。
だから、いろんなことに手を出しては
納得するまで打ち込んでしまう。

これはもう、生まれ持った性格で、
病気とセットとして認識している。

だから、躁だったり、
人に迷惑をかけたりするのでなければ、
まあまあよし、と考えている。
本当は、打ち込まず、取り組まないのが
いいのかもしれないが、
それではあまりにも人生が不毛なものになってしまう。

まずは、今は、それなりに遊ぶことは
よしと。

 

 

 

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