双極性障害寛解できるよ

双極性障害ですが、寛解の可能性が見えました。これまでの経緯を語ります。アラフィフ♀です。

気分安定薬を飲んでから~躁のパターン

躁は毎年9月に始まるようだ。
7~8月は割とフラットな感じで過ごすことができるが、
問題はそのあとだ。

 

といっても、気分安定薬を飲む前とは違う。
そもそも、やってくる時期がわかっているし、
前兆もわかる。

 

いわゆる軽躁状態である。

 

頭がやけに回転する。
いろいろなことに気づく。
いろいろなことに興味を持つ。
おしゃべりが止まらない感じ。
人の気持ちにとても共感する。
周囲に「できる」と思われ、
頼りにされる。
頼まれるので、引き受ける。
しかし、なんだかやりすぎているようだ。
相手が私が行ったレベルまでついてこない。

 

何か問題に気付いて、指摘するが、
相手は私に着いてこれない。
相手が動かないから、
こちらはじれったくなって、喧嘩しそうになる。
あちらはフラットだろうけど、
こちらはぷんぷん来ている。
武勇伝は、こういう時に出来てしまう。
武勇伝になっちゃう前に、
コントロールするよう努める。


こうなった時点で、
私は「すわ、躁が来た!」となる。
すぐに主治医に報告する。
予約外でもためらわず行く。
主治医も、うつよりも躁を心配している。

薬を塩梅してもらい、
1週間後に再診するように言われるパターンが多い。
落ち着けば、
次は2週間後、3週間後、と伸ばして
通常の4週間に1回に戻していく。

 

このようにすれば、
以前経験したような
強烈な躁鬱混合状態にはもうならない。
心がナイフのように研ぎ澄まされ、
自分と相手を傷つけてしまうような
地獄の番外地には、もう陥らない。
前回のブログで書いたように、
自分をモニターし、医師を積極的に動かして薬を調節する。
とにかく、地獄の番外地の前駆症状なので、
おかしいと思ったら、
すぐに医者に駆け込んで薬を処方してもらう。


また、私は、躁鬱混合状態になる前の
軽躁で便利な経験したことがあり、
それを日常の仕事に生かしている。

地獄の番外地

に記されている通り、
子どもの気持ちがとてもよくわかるようになったことだった。

子どもの気持ちがわかれば、
こじれている子どもを
立ち直らせてあげる手助けができる。
どうしたら立ち直るか、という想像が
可能になるから。


もちろん、躁による病的な経験だったと思う。
しかし、それを利用していけないということはないだろう。


私は、長い間鬱だったのだが、
当時は本当に子どもの気持ちがわからなかった。

子どもがへそを曲げて、
くじけているとき、
肩書としては担任だったり
その子の担当教諭だったりしたけれど、
その子を助けてあげることはできなかった。
なぜくじけているのかが全然わからない。

だから、その子を立ち直らせてあげる助けが
まったくできない。
その子の前で、
茫然と立ち尽くすか、
無駄だとわかっていながら
何らかの声をかけたり
気持ちをごまかしたりする試みを行っては
すべて失敗した。

当時私は、
職場に体を置いてるだけで、
何もしていなかった。
問題の前で立ち尽くすだけだった。
誰かが来て、
さっさとそれを解決して立ち去ると、
私はホッとすると同時に、
言いようもない劣等感を味わいながら、
地獄に堕ちて行った。

その間、担任を外されもしたし、
休職も経験した。

ああ、もう退職させてほしい。
わけがわからない。
自分でも決められない。
だれか私をクビにしてくれ!

そう願っていた。

しかし今、私は
躁の時の経験を生かしながら
仕事をしている。

首にしてくれ!と天に向かって
叫んでいた私ではない。


その経験については、

参考になる話がいっぱい! 精神疾患の体験談記事まとめ | 双極性男子のあたまのなか

経験談として寄稿しているので、
興味がある方はご覧いただきたい。


薬の塩梅によって、
私はだいたい落ち着くが、
うつの時のように、
3段階もの処方を考えてもらうということは
今はない。
躁は鬱よりも用心したほうがいいと思うから。

もう少し自分の処方に熟練したら、
主治医にお願いするかもしれないが。


かくして、次の6月ごろにまでは、
その処方で大丈夫。

 

6月になったら、
鬱の兆候に気を付けるようにする。


このようにして、
躁・鬱を自覚し、薬を調整してもらうことで、
私は躁の波にさらわれることなく、
生活することができている。

 

 

 

 

 

 

 

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気分安定薬を飲んでから~鬱のパターンを知ってコントロール

気分安定薬を飲んでから、
初めての鬱がやってきた。
しかしそれは、
前回の地獄の10丁目うつよりは
だいぶベターな鬱だった。

その鬱とは、具体的に言えば、
例えばいろいろなことに対する不信感。
今まで信頼してきたもの。人への不信だった。

 

今までと違う自分に、自分が戸惑う。
また、信頼していた相手への感情が変わるから、
態度に出てしまう。
すごく迷惑をかけると思う。

それを避けるために、
なるべく近づかないという対策を立てるしかない。
孤独感が募るが、仕方ない。


それと、よくあるのは身体症状。
あるときには謎の背中の痛み。
朝、目が覚めると背骨がギシギシときしむように痛むが、
30分もすると収まる。
しかし収まるまでの30分間、
出勤の支度をするのは結構な苦痛だった。
この時には整形外科を受診し、
セレコックスを処方されて
痛みを和らげ、
時が過ぎるのを待った。

痛みが数か月で過ぎ去ってから、
この痛みが出たのは
いつもの鬱の時期と重なっていたな、ということに気づく。
ああそうか、うつ症状だったんだ、と
理解した。

 

またある時は、
咳が長引くことがあった。
熱が出たり、ひどい咳が続いたり、
さらに結膜炎・腰痛など、
いろいろな症状が重なった。
呼吸器内科では、
咳喘息・マイコプラズマ・アレルギーなどではないか、
と言われたりもした。

それと、よくあるのは冷えである。
これは寒さで冷えるのとは種類の違う、
非常に不快な冷えだ。


気分安定薬以降のうつ症状は、
こっそり忍び寄ってくる。
「うつだ」という看板をぶら下げてくるわけではないので、
気付いた時にはしっかりうつに脳を
占領されていることがある。

実は、このブログを始めた6月ごろも、
うつが来るか来るかと身構えて待っていたのに、
来ない!と思った。
そのため、「ついに寛解したか!」と思った。
それで、「寛解したかも」というブログを始めたわけだ。

実際には、うつに少しやられていた。

ただ、これは言っておきたいのだが、
やはり気分安定薬を服用するようになってから、
年々うつはましになっている。


では、どのように「まし」にするのか。

これまで私は、
医師の処方通りに薬を飲んできたが、
ここからは少し変わる。

波の変化が激しいと思うとき、
私は何段階かの薬の変え方を
事前に訊いておく。
通院は基本的に月に1回だが、
症状が激しく変化する時には、
それでは全く足りない。
かといって、いちいち病院に駆け込むには
私の時間が足りない。

そこで、もっとおかしくなったらどうするか、という仮定で
指示してもらう。
主治医はたいてい、
「ここまでする必要はないと思うけどね」
といいながら、3段階ぐらいまで教えてくれる。
そして、私は結局3段階全部を使うことになり、
1カ月を待たずにしてまた病院に行くことになることもあるが、
これでいいように思う。
自己防衛である。

もし薬を変えることで症状が和らぐなら、
我慢する必要など全くないと、
私は考える。
多くの場合、
症状に合わせて薬を変えはするが、
減量はしていないように思う。
というよりも、症状を自覚していてもしていなくても、
常に一定量を服薬している、という感じ。

必要なら増やすことも厭わない。
薬を増やすことが怖いなら、
薬を増やすことのベネフィットと副作用を天秤にかけて
よく考えればよい。
しかも、自分で考えるのではなく、
医師に質問して教えてもらうのだ。


うつで受診したある日、
「具合はどうか」
と問う医師に対して、
うつ過ぎて説明するのも面倒で、
「もう、わかんなくなっちゃいました」
と言ったことがある。

すると医師は、
「でも、わかるのはコロッケさんだけなんですよ」
と言った。

そうなのだ。
投げやりになって説明をあきらめてしまうと、
医師はどうすることもできないのだ。

それ以来、私は
なるべく受診前に症状を書きとめるなどして、
説明のために役立てている。

自分をモニターする。
症状を分析・説明し、
医師を動かして、薬を最適化してもらう努力をする。
過去の症状は忘れないで、
同じパターンが来たら、用心する。

これで、激鬱の時に休職して以来、
一度も休職はない。

我慢の範疇で、仕事ができている。

一度、あまり深くはないが、
長期間うつから上がってこなかったため、
パキシルが1錠出たことがあったのだが、
2日ほどであっという間に鬱が終わり、
その後すぐ躁転したのだ。

この時には、受診するまでもなく、
パキシルを半分・1/4個・ゼロと数日で減らしていった。
離脱症状が出るほどに飲んでいないはずだ、
ということも、
折込済みなので、
こういうことができる。


ちなみに、
主治医に、心の中の葛藤やトラウマについて
話したことはほとんどない。
話したところで、
精神科医は、
話すその内容や様子から
ふさわしい薬の塩梅を考えるだけ。
だったら、それよりもまっすぐに
精神症状について伝えた方が早い。

一応家族歴や経過として
父が自殺したということを伝えてあるだけである。

時間というコストを浪費したくない。

それに、私はカウンセリングのようなものを
受けたいとは思わない。
もちろん、父の自殺は今でも大きなトラウマだが、
それをどうこうするつもりはない。
せっかく心の中の居場所をなんとなく見つけて
それなりにどこかに落ち着いているものを
触ってもらいたくない。

この出来事は、時々暴れたりするが、
そう簡単にどうにかできるものでもない。

もちろん、認知行動療法などの可能性は
私も意識していて、
そういう意味で、
心理学の世話になることもあるかもしれないとは
一応知識として持ってはいる。
しかし今のところ、
父の死に限らず、
いやな出来事を前向きなフレーズに言い換えてみても、
腹の底から苦々しい気持ちが湧いてくるだけで、
それに耐えられない。

私は仕事上、
心理学を結構長く学んでいて、
仕事では毎日心理学を使っていると思うが、
自分に当てはめるのはできない。
どうしても内省しすぎてしまう。
下手に知識があるからだめなのかもしれないが。

あるいは、よほどタフなカウンセラーなら
世話になる可能性もあるのかな。

 

 

 

 

 

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気分の波を乗りこなす努力の始まり

寛解したかも」というタイトルのブログなのに、
ここまでは激しい症状と悪化の一途をたどった様子を
書いてきた。

 

流れを振り返ると、だいたい以下の通り。

 

精神的なダメージによるうつ状態バセドウ病の発症
バセドウ眼症の治療としてステロイドパルス療法
ステロイド後の精神症状(躁と鬱が一緒に来たような?薬剤性躁病)
躁が治まったとたんにうつ状態
このまま何年も経過。少し元気になったこともあったが、基本的に鬱
自分では双極性障害を疑うが、それらしき兆候がないと言われる
抗うつ剤無効の大きな鬱と、自然発生した躁鬱混合状態

 

これで 本格的に、
双極性障害だということになった。

 

ところで、
ステロイドパルス療法で
精神病になったという話は、
ネット上をさまよってみても、
見つからない。

私は特別に、
ステロイドに対する脆弱性があるということらしい。
でも、私という症例があるので、
このブログの読者で、
ステロイドパルスをしていらっしゃる方がおられたら、
十分ご注意いただきたいと思う。 


さて、ここからは、

波にさらわれつつも、ゆっくりと回復基調となる。

(といっても、双極性障害の波。
 バセドウ病は、
 大きく数値が変わることもなく、
 8年ぐらい、同じ薬を飲み続けている。

 私の場合は、バセドウ病よりも、
 双極性障害の苦痛の方が
 数段上なので、
 バセドウ病はもはや
 考慮に入れていない。

 薬のんでりゃいいんでしょ、という感じ)

 

ただし、双極性障害
治る病気ではないのが前提。寛解を目指す。
抗うつ剤は、落ちたものを上げるもの。
しかし、双極性障害で用いるのは
気分安定化薬である。
上がったり下がったりする波を、穏やかにする。

下手に抗うつ剤を使えば、
躁を生む。

前にも述べたが、
長くうつだったとき、
もし双極性障害だった場合、
もっとも躁転の危険が高い三環系抗うつ剤
長年、複数種使ってきたが、
躁転はなかった。
ちょっと元気になったときはあったけど。
でも、それは「抗うつ剤が効いた」と
とらえられる程度のもので、
基本的にはうつだった。

しかし、最後に私は大きく躁転した。

 

はじめから双極性障害だったのか、
あるいはうつ病とされていた時代の
どこかで双極性障害になったのか、
それはわからない。

自然発生した躁を見るまで、
医師も、はっきりとした診断名を
積極的に私に告げることはなかった。


しかしこれで、
私は双極性障害である、とはっきりした。
これ以降、6月に鬱、10月に躁というパターンを
ずっと繰り返すこととなった。

 

と言っても、ここから先は、
気分安定薬を飲んでいるせいか、
以前のように、地獄と言えるような大きな波は
起きないようになってきた。

 

ようやく、
私は気分の波を乗りこなすべく、
努力ができるようになってきたのだ。

また、波が大きくなる時期や、
どんな前兆があるかも、
わかってきた。

といっても、
波を乗りこなすために絶対に外せないのが
気分安定薬である。
ちなみに、お世話になっているのは
リーマス、デパゲンR。
他にクエチアピン、あとは眠剤
バセドウ病の薬も飲んでいる。

あとは漢方薬

特にはじめの3つは、
一生のお付き合いとして
受け入れる。
21世紀に生きててよかった、と考える。
老人になって、
内臓が弱ってきて薬が飲めなくなるということがあったら、
他の選択肢を考えざるを得ないだろうけど、
それはその時医師に考えてもらう。
先のことは先にまかせる。


減薬とか、
間違っても断薬などということは
考えない。

地獄の10丁目も、
地獄の番外地も、
もうたくさんだから。

 

 

 

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地獄の番外地!その後の躁状態② じゅうたん爆撃

どうにも収まらない躁の嵐を見て取った主治医は、
「じゅうたん爆撃だな」と言って、
薬をどんどん増やしていった。
集中砲火じゃないんですか?と訊いた私に、
いや、じゅうたん爆撃、と。
リーマスは最高量の1200mg、
さらにクエチアピンも50mgだった。
それでも、私の躁の高まりはとどまらなかった。
ラモトラギンも入ったが、
効いていないね、と言って外した。
私はがっかりした。
薬疹さえ出なければ、
ラモトラギンは、
リーマスやクエチアピンにあるような副作用が
ないからだった。
でも、効かないものは仕方がない。

集中砲火ではなく、じゅうたん爆撃といったのは、
1つの薬の量を増やすのではなく、
種類を増やして、
あれこれの症状を抑え込む、の意だったと思う。

モグラたたきでいえば、
全部のもぐらを一度に叩いて、
どこからも出られないようにする、
といったイメージか。

これでも収まらなかったら、
絨毯爆撃+集中砲火 という道が、
まだ残されているのか?

ここで、大量処方だのなんだの、
ネガティブキャンペーンが頭の中をよぎったが、
すでに私は地獄の番外地に来ているのだから、
どうしようもなかった。


躁で頭がぶんぶん回ってしまうとき、
人が発したことば、
テレビでふと耳にした言葉やフレーズに
あまりにも激しく反応してしまう。
荒れ狂う心の中をどうすることもできず、
嵐はますますひどくなるばかり。
そんなとき、私はどうしたらよいのか?と
回りすぎる頭をますます回して考えた。

 

考えたのは、次の通り。

1.誰かに言う→でも、言われた人にとっては大迷惑になる。
また、言ったことでさらに自分を刺激してしまう

2.黙っている→でも、自分のストレスが大きくなり、爆発しそうになる

3.テレビを見る→でも、ちょっとしたことに刺激されて、頭の中がますます荒れる

4.ネットをする→テレビとだいたい同じ。

テレビとネットは似ているが、
少しでも刺激が少なくて済むように、
こちらから情報を選んで見に行くので、ネットのほうがましか?
でも、ネットするためには、体を立てにしておく感じになる。
でも吐き気でつらいから横になりたい。
それなら、寝ながらネットという手段もあり、
これは割とよかったと思う。
文字は打ち込まず、ひたすらクリックということになる。
家族はこの行動を理解できず、不審に思ってたけど。

5.日記とかに書く→ワードとかにちょこちょこ症状を記録したが、これも体を立てする感じになる。
また、やっぱり書くことがさらに自分を刺激してしまう。

6.横になってケータイに打ち込む→当時はガラケーだったのだが、これが一番毒が少なくて済むように思った。
長文を編集するのが大変だが、それがかえってちょうど良かった。

しかし、頭からどんどん溢れ出すから、やはり長文を書くことになる。
結果、寝ながらノートパソコンを腹の上に載せて打ち込む。
これ、かなり上達した。

 

医師に上記の6つを話しながら、
「どれも、無駄な抵抗でしょうか?」と言ったら、
「そうだな。無駄。薬飲むしかない。じゅうたん爆撃。」
と言っただけだった。

 

私は仙人になるのだ。

 

こうして苦痛がどんどん増していった。
ここで述べたことと重なることも多かったと思う。
しかし、正直言って、
この時の精神的苦痛について、
きちんと説明することはできないように思う。
通常の私ではまったくあり得ないことだったこともある。
また、躁が治まったあとで思い当ったのだが、
この経験が苛烈だったため、
記憶が何割かは消えているのかもしれない、ということ。
脳の防衛機制なんだろう。

 

身体的には、ここよりはマシだったとは思うものの、
肩や背中の凝りがひどくなり、
しまいには吐き気がしてきた。
すさまじき頭痛。
整体に行ってみたり、
マッサージオイルを買ってみたりしたが、
どれがどう効いたのか、効かなかったのかは
よくわからない。

 

せめて私にできるのは、
とにかくこの出来事を
経験値として取り込むということ。
そうだとしても、あまいにもイタすぎた。

 

躁状態について、よくある説明に、
爽快感・万能感・浪費・性的放縦などとよくあるが、
このすべてに、私は当てはまらない。
浪費は少しだけあるかもしれないが、
わずかなものだと思う。

 

躁を病気だと認識できないという話をよく聞くが、
私の場合は、自分をしっかりモニターできるようだ。
機嫌がよい・何か曲などを生み出してしまう・
感受性が高まる・共感性が高まる。
それが躁の序章。
あとは、上記のような状態に陥る。

 

特に爽快感など考えられない。
非常に苦痛に満ちた、苦しい経験で、
不機嫌であり、どうにか眠っても悪夢を見る。

それはまさに「地獄の番外地」だ。
激鬱を地獄の10丁目と表現したが、
私にとっては躁もまた、別の地獄なのである。


この躁の時は、
ちょうど年末年始の休みと重なったこともあって、
私は休職こそしなかったが、
まったく仕事になっていなかったと思う。
ただただ、周囲の支えがあって
どうにか体だけは職場にあった、ただそれだけだ。

 

また、うつであれ、躁であれ、
休職したとしても、
それは休みではない。
休んだら休んだで、辛い。
出勤したらしたで、辛い。
つまり、何をどうしても、身の置き所がない。
いたたまれない。
「辛かったら休んで」という優しい言葉に
素直になれない理由がそこにある。



このようなすさまじい状態に置かれた私だが、
ピークから2か月ほどで、
症状は治まってきた。

 

双極性障害の症状は、
波。


だから、時が来れば収まるはずだ。
渦中にあるときには、それが信じられなくなる。
でも、波はどんなに高くても、時がくればは引くのだ、と
理性で理解することは、少しは助けになったかも。
ただし、放っておけば、
その次の波はまた大きく高いのだけれど。

 

放っておいてたまるか。
ようやく双極性障害の本格的な治療を始めたばかりなのだから。
そんな気持ちで、主治医の指示通り
服薬を続けた。

 

 

 

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地獄の番外地!その後の躁状態①

激鬱から持ち上がって来た私。

 

もう退職しかないと思っていたはずのに、

いい感じで生活ができていた。

 

その頃、私は気づいたことがあった。

今まで全然できなかった仕事が、

すいすいとできるようになっている!?ということ。

 

できなかったこと、というのは、

職場で相手にする子どもの気持ちを汲み、

子どもの気持ちに沿いながら遊ぶこと。

私はこれが苦手だった。

 

私は大人だ。

子どもの気持ちなんて、わかるか。

 

ところが、激鬱の後、

それができるようになり、

出来る感じがますます高まって行った。

 

これは私にとって便利な現象だった。

子どもにとことん共感することができれば、

私の教育活動は楽に進む。

彼らがなぜへそを曲げたり、

恥ずかしがったり、

反抗したりするのかがわかる。

理解を示して、こじれた心をほぐしてあげれば

彼らはすんなりと立ち直っていった。

 

また、私は、他のことでも今までにない成果を上げ始めた。

例えば、子どもの発表会のプログラムを作ること。

もちろん今までもずっと行っていたが、

今回のものはセンスがよく、

気の利いたものになっていたと思う。

 

しかし、だんだんとそれが、

病的な異変だと思うほどに

高じていくのに気づいた。

上記で述べた変化が、

どんどん進んで、度が過ぎるのだ。

何かをしようとする。

すると、それに関連することで、

何か素敵なことを思いつく。

今度はそれについてあれこれ考え始める。

すると、そこからまた別の何かを思いつく。

これが何度も繰り返される。

だから、困る。

いろいろなアイディアが出ていいような気がするが、

度が過ぎれば、結局なにもまとまらない。

まとめようとするのに、

次々と考えがあふれ出て絶対にまとまらない。

蜘蛛の子を散らすよう、とはまさにこのこと。

 

この現象は、生活のあらゆる場面で現れた。

食事をしようとして、箸を持つ。

ご飯を食べようとしたが、

ふと見えたサラダを食べたくなり、

フォークに持ち替える。

あ、ご飯だった、と思い、

箸を・・・

そんなことをしているうちに、

右手に箸1本とナイフ、

左手にフォーク、

そんな妙なことになってしまうのだ。

これではいつまでも食べられない。

 

私はあらゆる場面で、やる気がある。

次々とアイディアが湧いてしまう。

ところが、

ここでとどめよう!と決めても、

次から次へと湧き出すものを、

止めることができない。

だから、上記で述べた発表会のプログラムは、

気が利いてはいるが、

ぐるぐると終わらないらせんのようなものになってしまった。

 

パソコンにたとえれば、

急にスペックがあがったような感じ。

デスクトップにたくさんのソフトを立ち上げて

様々なデータをあれこれ見ているような状態。

メモリがフル回転する。

なのにフリーズしない。回り続ける。

広げ過ぎてまとまらないのに

また別のデータを広げて考慮してしまうのだ。

でも、本当は、スペックは変わっていない。

結果的に、空回りする。

私の脳というパソコンは

よい仕事はできないことになる。

 

これでは生活に困る。

主治医に訴えると、

「観念奔逸!転導性の亢進!」と言った。

なにそれ??

私にとっては初耳だったのだが、

その後とてもなじみのある言葉となった。

 

つまり、観念奔逸・転導性の亢進とは、

躁状態に典型的な症状だったのだ。

 

さらに私は、

いちいちいろいろなことに気づくようになっていた。

本当に、「いちいち」である。

いつもなら気づかない些細なことに気づく。

気が利く、などというレベルをあっという間に通り越した。

 

そんな中、いくつか信じられないような経験をした。

これは怪奇現象なのか!?と思うようなことだった。

しかしそれも、おそらくは、

あらゆる出来事を自分に取り入れてしまい、

その出来事をさまざまに組み合わせ考えることによって、

「あり得ない偶然」も、

見つけてしまうことになる。

重なりすぎる、確率的にありえない、と思うようなことに

結果的にたくさん出会うことになってしまうのだ。

でも、当時私はそれがわからなかった。

 

 

あまりにも奇異に思える体験が連続するから、

思わず主治医に

「私って、仙人にならなきゃならんのですか?」

と聞いたら、

「そうです、達観してください」と言われた。

                       

私はひどく落胆したが、

どうしようもなかった。

 私は地獄の番外地に入っていた。



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今度同じ鬱が来たら死ぬ!双極性障害を自分で疑う

その後、2か月は完全に休職し、
少しずつ回復してきたのに合わせて
短時間の勤務をさせてもらい、
完全に復帰したのは休職してから3か月後だったと思う。

今思えば、
激鬱の時には絶対に復帰など無理と思っていたのだから、
結構早い復帰だったかも。

この時の鬱は、「時がくれば上がってくる」
というものだったのだろう。
「波」だ。
躁・鬱の波。

 

最強の激鬱状態から回復した私は、
またこの鬱に襲われたら、
今度こそ死ぬ!と思った。

今までの治療は、うつ病の治療だ。

このままだと、死ぬ!

 

そこで、自分で双極性障害について調べ始めた。

 

いろいろわかったことがあった。

 

うつ病とは違う病気であること。
診断が難しく、
DSMの改訂で、診断基準が最近変わったこと。
遺伝性があること。
病前気質について。
鑑別が難しく、
診断に至るのに何年もかかる人が多いこと。
過剰診断の問題があること。

 

私は、家族歴などを自分で調べ、
それらしき怪しげな人たちが父方に多いことに気付いた。
自殺した人は父だけではない。
変人ということで片付けられていた人もいる。
その人はまだ若かったのに、早々と当時で言う痴呆症になっていた。

私は子供のころ、とてもそそっかしい子どもで、
注意欠陥だったかもしれない。
また、親戚には発達障害の者がいる。

自分の気質が、
いわゆるうつ病になる人に多いと言われる
真面目・几帳面なタチとは真逆だとも、
ずっと思っていた。

むしろ、双極性障害病前性格として言われている、
循環気質、発揚気質の方が
身に覚えがあるということに気付いた。

なんとなく、器用に表現できてしまうことがある。
すごいね、とか言われるが、
その内容についてではなく、
あれこれよくやるよ、みたいなことなのだが。


私をほめてくれる人もいるが、
当の私にすれば、
湧き出るものを出さなければ
私の方が破裂してしまいそう、
ただそれだけである。

 

そうしたことすべてを主治医に話すと、
今度は主治医も「そうだね」と言い、
今度こそ気分安定薬を使用することになった。

ただし、「上がってきてから」とのことだった。
リーマスを飲んだら、
落ちてしまうから、とのこと。
私はそのままロケット燃料とトリプタノールを飲んだ。

 

その頃、私はこのまま抗うつ剤を飲むことに疑問を感じて、
セカンドオピニオンを聞きに行った。

主治医も、セカンドオピニオンの医師も、
市内ではとても信頼されている。

セカンドオピニオンの医師は、
とにかく今すぐにでも、
リーマスを飲むべきだと思う、と述べた。

主治医と真逆のことを…

 

結局私は主治医に従った。
長い経過を知っているのは主治医だから。
回復してきたとはいえ、
長い長いあれこれを整理するのは
とても大変だ。
こんなブログを書いているのは、
寛解に近い状態だからである。

 

 

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最悪の鬱~地獄の10丁目

その後、私はだいぶよくなった。
そう思った。
睡眠薬をかなり減らしても、
ちゃんと眠れた。
気分的にも、とても機嫌のよい春を迎えていた。

主治医も、
「いいね。よくなってきたぞ。」
と言っていた。

そうか、
これで私もようやく回復できるのか。
こうやって、父の死を乗り越えられるのかな。
そんなことを考えたりした。


ところが、
その後私は急激に、最悪の激鬱に堕ちた。
今思えば、春に元気だったのは、
軽躁だったのだろうか。
躁といえば、眠らなくても平気、というのが有名だが、
私の場合は「睡眠薬を減らしてもよく眠れる」
というものだったと理解してよいのだろうか。

何も考えられない。
どんどんひどくなる。
バカになったような。
認知症ってこんな感じか?
いや、それだけじゃない、
体も認知も心も、
何もかもがおかしい。

臨機応変に対応するなど、
絶対に無理。
一番苦痛なのは、雑談。
これほど機転が求められるものはない。

職場には一応身を置いていたが、
ただそこに体があるだけだった。
何もできなかった。
そんな状態を、職場の人たちに言葉で説明することは
できなかった。
うつとはそういうものだ。

うつ状態になると、自分自身ではなかなか
「できません、外してください」と申告することができない。
そんな慣れていないことをするエネルギーが、
あるはずがない。
申し訳なさ、罪悪感、自分に対する価値観のなさなど
うつ的な考えでいっぱいで、
それを振り切って申し出るエネルギーはもうないのだ。
ところが、渾身の力を込めてやっと伝えたことが
簡単に忘れられていたりもれていたりするものだ。


仕事を減らしてもらいたい。
でも、雇用内容を変更しないかぎり、
そんなポストはない。
それが無理なら辞める。
という発想になってしまう。

それ以外の選択肢を考えることなど、
出来るはずがない。

さすがに職場の人たちも私のただならぬ様子に気づいて、
私に課せられた仕事は
次々に誰かがこなすようになっていた。
私の頭の上を、
職場のみなさんの言葉が
飛び交うようになった。
私にはまったく理解できない。
頭がまったく動かないが、
みなさんの言葉が職場の中を
矢のように飛んでいるのは、
私が働けなくなった穴を埋めるための
みなさんの必死の仕事ぶりを
反映しているように思えた。

本当に申し訳なく、情けなく思った。

心は一挙に死の淵にかかった。
私はついに、
職場に身を置くことすらできなくなり、
トイレや隣の建物に逃げ出すことが多くなった。
そしてある日、
出勤できなくなった。

そのまま休職となった。
実質的には2回目である。
これは1回目よりも強烈だった。
私はこの時のことを、
「地獄の10丁目」と言っている。

その時には、もう絶対に復帰できないと考えていた。

あとで知ったことだが、
主治医は当時最強と言われた処方をした。
私の場合は、リフレックスサインバルタの組み合わせだった。
落ちに落ちて、べったりと動けないうつを
どうにか持ち上げるための、
最強の処方といったところ。
地面に重力でくっついているロケットを
強引に打ち上げることに譬えて、
ロケット燃料などとも言ったらしい。
さらに、ずっと飲んでいたトリプタノールも継続した。

しかし、今になって主治医は、
「あの時はどうしようもなかった。何やってもだめだったね」
などと言っているけどね。

 

 

 

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