双極性障害寛解したかも

双極性障害ですが、寛解に至ったかもしれません。その経験を書きます。

今度同じ鬱が来たら死ぬ!双極性障害を自分で疑う

その後、2か月は完全に休職し、
少しずつ回復してきたのに合わせて
短時間の勤務をさせてもらい、
完全に復帰したのは休職してから3か月後だったと思う。

今思えば、
激鬱の時には絶対に復帰など無理と思っていたのだから、
結構早い復帰だったかも。

この時の鬱は、「時がくれば上がってくる」
というものだったのだろう。
「波」だ。
躁・鬱の波。

 

最強の激鬱状態から回復した私は、
またこの鬱に襲われたら、
今度こそ死ぬ!と思った。

今までの治療は、うつ病の治療だ。

このままだと、死ぬ!

 

そこで、自分で双極性障害について調べ始めた。

 

いろいろわかったことがあった。

 

うつ病とは違う病気であること。
診断が難しく、
DSMの改訂で、診断基準が最近変わったこと。
遺伝性があること。
病前気質について。
鑑別が難しく、
診断に至るのに何年もかかる人が多いこと。
過剰診断の問題があること。

 

私は、家族歴などを自分で調べ、
それらしき怪しげな人たちが父方に多いことに気付いた。
自殺した人は父だけではない。
変人ということで片付けられていた人もいる。
その人はまだ若かったのに、早々と当時で言う痴呆症になっていた。

私は子供のころ、とてもそそっかしい子どもで、
注意欠陥だったかもしれない。
また、親戚には発達障害の者がいる。

自分の気質が、
いわゆるうつ病になる人に多いと言われる
真面目・几帳面なタチとは真逆だとも、
ずっと思っていた。

むしろ、双極性障害病前性格として言われている、
循環気質、発揚気質の方が
身に覚えがあるということに気付いた。

なんとなく、器用に表現できてしまうことがある。
すごいね、とか言われるが、
その内容についてではなく、
あれこれよくやるよ、みたいなことなのだが。


私をほめてくれる人もいるが、
当の私にすれば、
湧き出るものを出さなければ
私の方が破裂してしまいそう、
ただそれだけである。

 

そうしたことすべてを主治医に話すと、
今度は主治医も「そうだね」と言い、
今度こそ気分安定薬を使用することになった。

ただし、「上がってきてから」とのことだった。
リーマスを飲んだら、
落ちてしまうから、とのこと。
私はそのままロケット燃料とトリプタノールを飲んだ。

 

その頃、私はこのまま抗うつ剤を飲むことに疑問を感じて、
セカンドオピニオンを聞きに行った。

主治医も、セカンドオピニオンの医師も、
市内ではとても信頼されている。

セカンドオピニオンの医師は、
とにかく今すぐにでも、
リーマスを飲むべきだと思う、と述べた。

主治医と真逆のことを…

 

結局私は主治医に従った。
長い経過を知っているのは主治医だから。
回復してきたとはいえ、
長い長いあれこれを整理するのは
とても大変だ。
こんなブログを書いているのは、
寛解に近い状態だからである。

 

 

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最悪の鬱~地獄の10丁目

その後、私はだいぶよくなった。
そう思った。
睡眠薬をかなり減らしても、
ちゃんと眠れた。
気分的にも、とても機嫌のよい春を迎えていた。

主治医も、
「いいね。よくなってきたぞ。」
と言っていた。

そうか、
これで私もようやく回復できるのか。
こうやって、父の死を乗り越えられるのかな。
そんなことを考えたりした。


ところが、
その後私は急激に、最悪の激鬱に堕ちた。
今思えば、春に元気だったのは、
軽躁だったのだろうか。
躁といえば、眠らなくても平気、というのが有名だが、
私の場合は「睡眠薬を減らしてもよく眠れる」
というものだったと理解してよいのだろうか。

何も考えられない。
どんどんひどくなる。
バカになったような。
認知症ってこんな感じか?
いや、それだけじゃない、
体も認知も心も、
何もかもがおかしい。

臨機応変に対応するなど、
絶対に無理。
一番苦痛なのは、雑談。
これほど機転が求められるものはない。

職場には一応身を置いていたが、
ただそこに体があるだけだった。
何もできなかった。
そんな状態を、職場の人たちに言葉で説明することは
できなかった。
うつとはそういうものだ。

うつ状態になると、自分自身ではなかなか
「できません、外してください」と申告することができない。
そんな慣れていないことをするエネルギーが、
あるはずがない。
申し訳なさ、罪悪感、自分に対する価値観のなさなど
うつ的な考えでいっぱいで、
それを振り切って申し出るエネルギーはもうないのだ。
ところが、渾身の力を込めてやっと伝えたことが
簡単に忘れられていたりもれていたりするものだ。


仕事を減らしてもらいたい。
でも、雇用内容を変更しないかぎり、
そんなポストはない。
それが無理なら辞める。
という発想になってしまう。

それ以外の選択肢を考えることなど、
出来るはずがない。

さすがに職場の人たちも私のただならぬ様子に気づいて、
私に課せられた仕事は
次々に誰かがこなすようになっていた。
私の頭の上を、
職場のみなさんの言葉が
飛び交うようになった。
私にはまったく理解できない。
頭がまったく動かないが、
みなさんの言葉が職場の中を
矢のように飛んでいるのは、
私が働けなくなった穴を埋めるための
みなさんの必死の仕事ぶりを
反映しているように思えた。

本当に申し訳なく、情けなく思った。

心は一挙に死の淵にかかった。
私はついに、
職場に身を置くことすらできなくなり、
トイレや隣の建物に逃げ出すことが多くなった。
そしてある日、
出勤できなくなった。

そのまま休職となった。
実質的には2回目である。
これは1回目よりも強烈だった。
私はこの時のことを、
「地獄の10丁目」と言っている。

その時には、もう絶対に復帰できないと考えていた。

あとで知ったことだが、
主治医は当時最強と言われた処方をした。
私の場合は、リフレックスサインバルタの組み合わせだった。
落ちに落ちて、べったりと動けないうつを
どうにか持ち上げるための、
最強の処方といったところ。
地面に重力でくっついているロケットを
強引に打ち上げることに譬えて、
ロケット燃料などとも言ったらしい。
さらに、ずっと飲んでいたトリプタノールも継続した。

しかし、今になって主治医は、
「あの時はどうしようもなかった。何やってもだめだったね」
などと言っているけどね。

 

 

 

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うつ病?双極性障害?鑑別について

あるときには、
結構元気になった。
少しよくなったのかな、などと思っていた。

主治医は、
「うつが治る過程で、軽躁状態になることはよくある。
そういうときに自重すること。
好きなことでも嫌いなことでも打ち込まないこと。
だらだら過ごすこと。」
と言った。
躁状態があるからって、躁うつ病ってわけじゃない、とも言っていた。

前にも書いたが、
私は自分で、うつが長く続いたここから先のしばらくの時期を
うつ病的時代」と呼んでいる。

うつ病の前に、
ステロイドによる躁鬱混合状態があったが、
この時、職場に提出した傷病手当の請求書に、
主治医は傷病名として
「症状性精神病」と書いている。
だから、私はうつ病ではない、と理解していた。
当然のように、躁鬱病だとも思っていない。

しかし、症状はうつ病そっくりだ。
といっても、現在私は双極性障害なのだから、
これが双極性障害鬱状態だったのかもしれない。

しかし、当時主治医はそのようには考えていなかったのだろう。

双極性障害患者に抗うつ剤を使うな、とよく言われる。
しかし、私はかなりの量を継続して飲んでいた。
しかも、一番よくないとされる三環系だ。
トフラニール
アナフラニール
トリプタノール
アモキサン
それなのに、躁転しない、ラピットサイクラー化しない。
機嫌が悪くなったりしない。
希死念慮が強くなったりもしないと思う。

また、抗うつ剤躁転したからと言って、
ただちに双極性障害とは言えない、
という医師もいる。

私は当時、うつ病だったのだろうか。
双極性障害だったのだろうか。

今もよくわからない。
ただ、主治医はよいと思われる処方をしたし、
その処方で、少なくとも短期的な悪化はしなかったのだと思う。


しかし、今は、私は明らかに双極性障害である。
本当に、双極性障害の診断とは
難しいものなのだなあと思う。

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他人に迷惑をかけることは、病むことの本体の一部

私は、激鬱のときには、仕事は全部キャンセルするしかなかった。
同僚と部下に任せた。

みな、自分の計画を台なしにしたことだろう。
本当に申し訳のないことだった。

他人に迷惑をかけること、
それは病むことの本体の一部である。
それは他人にとって迷惑であるだけでなく、
迷惑をかけてしまったと申し訳なく思う
自分の思いからくる苦痛である。

 

それは、実はお互い様であって、
私はそれまで、
だれかが何かの事情で仕事ができないとあれば、
ひと肌脱いでその場をしのぐという役目を
たくさんこなしていたと思う。

 

そんな私にとって、
病むことの本体の一部にさらされることは、
苦痛だった。
そして、今思い返すと、
新鮮な体験だった。

 

まず私は、
新しい自分のイメージを受け入れなければならなかった。
そのことは、この後何度も押し寄せるうつの波が
私に強く強く知らしめた。

 

そのことがしっかり身に染みた今、
私は、元気いっぱいに、
私が休んだら職場が回らない!と思っていた昔の自分が、
とても不遜に思えたりする。
「責任感」というよさげな言葉で装飾されているだけだ。
自分にできることなど、
実は限られているのだ。
自分がいなければ職場が回らないなど、
そんなことは決してない。
私はが世界の中心ではないのと同じだ。
自分の代わりは、実はいくらでもいる。

ただ、私が元気なうちは、
「いくらでもいる」人たちは、
元気いっぱいの私に任せて
頭角を現せずにいるだけなのだ。

 

自分が職場に、世の中の一部にでも、
なにか影響を及ぼしているなどと考えている、
その思いが、
不遜な思いの底辺にある。
そんな力は、そもそもない。

 

 

 

 

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うつ状態~生きている意味がわからない

私には、生きている意味がなかった。
少なくとも、そう感じた。

何もかもが億劫だった。
何にも興味がわかなかった。
生きていても、何の楽しみもなかった。
意味のない生だと思った。

しかし、私には死ぬことは許されていない。
父があのような形で死に、
遺族がどのような苦しみを負うかを
私は身を持って知っているのだ。
知っているのに自分が父と同様に死んだら
また同じことが起こってしまう。

そういう意味で、死ぬわけにはいかなかった。
積極的に生きたかったわけではない。

ただ、漠然と、この世からいなくなってしまいたいと
思っていた。
それはいわゆる希死念慮というほどでもなかったと思う。
ただ、もう生きているのが苦痛だから、
この生はなかったことになってくれないかな、というもの。

加藤和彦が自殺したとき残した遺書に、
「どうか、お願いだから騒がないで頂きたいし、
詮索もしないで欲しい。
ただ、消えたいだけなのだから・・・」とあったそうだ。

その思いがわかる。
世間を騒がせ、死ぬことによる迷惑についてはわかっている。
でも、お願い、もうだめだ。ゆるしてほしい。
静かに逝かせてくれ。
そういう意味だろう。

 

主治医は、うつによる不安ががどうしようもない時に、
アナフラニールの点滴を何度も行ったが、
全然、まったく、効果なかった。
で、なぜかよく効いたのは
アモキサンの服用だった。
精神障害とは本当によくわからないものだ。

 

 

 

 

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あたりだったのか不明 抗うつ剤による治療

週末明けの月曜日、
病院に駆け込んだ私は、
デパゲンを飲みきること、と言われ、
それと同時に、抗うつ剤を飲み始めた。
トフラニール
オレンジ色で三角の錠剤。
可愛いけど、副作用はかわいくなかった。
やたら口が渇くのだ。
初めて飲んだ抗うつ剤だった。
副作用が強いのに、
薬はどんどん増やされた。

食欲ゼロ。
食べることが大好きだったのに、
食べられない。
家族が、私が好きなものやさっぱりしたものを
準備してくれたりしたが、
だめなものはだめだった。


ヒステリー球も経験した。
のどの下付近に、空気の玉が入っているような感覚。
そこが詰まっているから、
細いそばでも通らない、みたいな感覚である。
立ちくらみもこの後ずっと続いた。
立っていられない。
したがって、寝たきり。
ひと夏、寝て過ごした。

焦燥感、不安感。
そして、体が動かない。
まるでコールタールの海を泳いでいるよう。
ひどい動悸。
全身に心臓の鼓動が響くような感じ。
なんなんだ、これは!?


父が死んだときの鬱状態とも違っていた。

私にはまだ精神症状の経験値がなかった。

まるで炎天下の海で何時間も泳いだあとのように
体が疲れて動けなくなったり。


さらに、その後何年も、
少し上向いたかと思うと、
また次のうつ症状やってくるというが調子で
長く苦しみ続けたのだが、
その症状は実に多様で、様々だった。
ものの本には、
「ありとあらゆる症状が、うつの症状でありうる」
などと書かれていた。
本当に、その通りだと思う。
新しい症状に出くわすたびに、
「なにこれ!?」と思うのだけれど。

毎度毎度、うつ症状が顕在化するたびに、
世の中には、
こんなに辛いこともあるんだなぁと
いちいち思った。

経験してない症状だから、
何が起こっているのかよくわからないのだ。
うつが始まってその初期症状が現れたとき、
自分では「これはヤバいのではないか」と思って、
主治医に説明したりもするのだが、
主治医の方でも、???となることが多かった。
こんだけ経験のある医者でも、そうなんだから、
私なんぞにわかるわけなかった。

毎度のことながら、
これを乗り越えたんだから、
次は驚かないぞ、とか、
次は、あのとき経験した初期症状が出たら
すぐに対応してもらうぞ、とか、
この時期にはこうなるから、
あらかじめ医者に言っておこう、とか思うのだが、
そういうの、ほとんど意味がなかった。

だんだんと経験値が増すにつれて、
わかるようになってきたけれど。


目の前をチカチカと星が飛んでいるのに、
どうしても研修会の司会をしなければならないことがあり、
(これも、「できません、交代してください」と主張すべきだったと今は思う)
キラキラの星とともに司会業をこなし、
参加者がセッションしている間は
トイレにこもってさぼるなどということをして
なんとか乗り切った。

あるときには、
そわそわして、敏感な感じが苦痛だった。
心にどこか違和感がある。
胸がバクバクする。食欲低下。下痢。
眠れない。
睡眠薬を3種類処方されたこともあったが、
だめなものはだめだった。

 

もちろん、鬱々とした気持ちというのは
常にあった。
以前触れたので繰り返さないが、
父の死を思い出すと、
もうパニックだった。

 

あるときには、最強の不安に襲われた。
不安で不安で、いてもたってもいられない。
過呼吸で息苦しくなる。
パニック発作である。
その挙句、眠ってしまう。
この症状について、医者は、
「脳の防衛反応」と説明した。
不安で生きていけそうもないほどになると、
生き抜くために、脳は眠くするんだとか。

もう、そこまでして、生きていたくもないよ、
と言いたかった。

 

 

 

 

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うつ病時代?の始まり

2月に始まったひどい躁鬱混合状態と思われる時期が過ぎ、

落ち着いてきたころ、

主治医が「そろそろよし。差し迫った感じもなくなった」

と言った。

私は徐々に仕事に復帰し始めた。

6月下旬だった。

 

治まったとはいえ、

主治医は、

「まだまだ用心だ!このままうつに落ちたら大変だ!

ステロイドというのは、恐ろしいんだぞ!」

と言った。

へぇ、そうなんだ。

確かに恐ろしい経験をしたけど、

もう治まったじゃん、と思っていた私は、

改めてちゃんと治療しようと思い、

一日も忘れず、処方されたデパゲンRなどの薬を飲み続けた。

デパゲンは抗躁剤だから、

これを飲んでれば大丈夫。

そう思っていた。

 

しかし、7月下旬、

大切なイベントを実行しなければならなかった土曜日、

私はいきなり、

経験したことのない焦燥感に襲われた。

どんなにつらくとも、

その場を去ることはあり得ないことだった。

・・・今思えば、

誰かに放り投げて私は病院に行っても

よかったのだと思うが、

当時はまだ、精神障碍者としての心構え?が

まだなかった。

 

病院は、土曜日はどうしても午前中しか診てくれないという。

イベント終了は昼過ぎだ。

運命だとあきらめた私は、

いてもたってもいられない焦燥感の中、

人々の前に立ち続けた。

 

根性を試すには良い経験だったけど。

 

これが本格的なうつ病時代の始まりだった。

といっても、私は今双極性障害なのだから、

この時本当にうつ病だったのかは、

よくわからない。

 

 

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